星野温泉の歴史

星野温泉の歴史

「湯川」という名から始まった温泉の夢

「星のや 軽井沢」の歴史は、大正3年、初代経営者・星野国次が温泉掘削事業に着手したところから始まります。谷の集落の傍を流れる湯川は、ところどころ温泉が湧くことからその名がついた、と伝えられていました。中山道の沓掛宿(現在の中軽井沢)を玄関口に草津温泉に向かった湯治客は、復路に湯川沿いの弱アルカリ性の星野温泉につかり、肌を癒していました。以来、「美肌の湯」として親しまれてきました。国次は、湯川渓谷が名湯地となることを確信し、大正3年(1914年)、温泉宿を開業。掘削事業に並々ならぬ情熱を傾け、長く険しい道程の末に、湯質と湯量に秀でた温泉へと発展させたのです。

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あの名作もこの地で生まれた

大正10年(1921年)頃になると、多くの文人が集う場所になりました。北原白秋、島崎藤村ら、当時の文壇を代表する文人たちが、この地に逗留し、数々の名作を執筆。さらに「芸術自由教育講習会」を開催し、文化的エポックを切り拓いたのです。また、昭和40年代になると、毎夏、別荘に滞在する子供たちを対象に「ほしのこども会」を開催。会には浩宮様、礼宮様、紀宮様のお姿もありました。

明るさを削ぎ落とし、居心地の良い「暗さ」をつくる

昭和中期、中西悟堂(日本野鳥の会創立者)が滞在したことも、今振り返れば大きな転機でした。彼は2代目経営者・星野嘉助(国次)に「今までは野鳥を食べていたが、これからは見て楽しむ時代になる」と語り、それは当時、衝撃的な発想であったと伝えられています。さらに、星野に隣接する国有林が、世界的な野鳥の宝庫であると指摘。その意を受けて、中西悟堂とともに保護活動を働きかけた結果、この森は「国設 軽井沢野鳥の森」に指定されました。探鳥会と呼ばれたガイド付きツアーはこの時期にスタートし、ピッキオのエコツーリズムへと繋がります。ピッキオエコツアーを見る

自給自足率75%の「気持ち良さ」を共有するリゾートづくり

源泉かけ流しの温泉は、今も尽きることなく、よどみなく湧き出ています。「明星館」として開業した温泉宿は、刻々と進化し、「星のや 軽井沢」が結実しました。新たな発想で日本の姿を映す温泉旅館として、歴史的第一歩を踏み出したのです。

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